
Architects Office
🔳 阪神淡路の大震災から
1995年、阪神淡路を大地震が襲った。この衝撃的な大災害を私は忘れることはできない。震災後に私がはじめてこの被災地に入った時、倒壊した建物や、その足元の太い鉄筋がまるで飴細工のように軽々と曲がっているのを目の当たりにし、設計者としての私の心は激しく揺さぶられた。私はコンクリートは硬いと思っていたが、それ以降は粘土だと思うようになった。また木造家屋の倒壊が激しかった。古い木造家屋がどれほど大地震に弱いものか、初めて知った気がした。通常の地震ではここまでは破壊されない。大地震の被害はすさまじい。一面がれきの山を見てその下にいかほどの人命が失われたか。その時はほうぜんとして想像だにできなかった。それまでの私は単なる建築デザイナーであったが、一時の繁栄に弄ばれる常識はこの日を境に覆されたと思う。
2011年、東北地方を未曾有の大地震が襲った。その3か月後、私は仙台塩竈の津波に流されたかまぼこ工場の復興事業に参加した。私は設計者として東京から、建設会社ははるばる岡山から駆け付けた。6月に現地に入り始めた復旧計画は決して単純なものではない。道路や土地の境界線の復旧もままならない。日本中から多くの有志が復興に駆け付けたと思う。
誰もが経験したことのない規模の被害を前にして奮闘したと思う。政府の復興事業として膨大な支援が行なわれた。民間の支援もまた膨大であった。しかし、後になって思うところがある。結果としては我々は急ぎすぎたのではないか。夢中であったゆえに見落とした多くのものがあった。私も急ぎすぎたがゆえの反省がある。必要なものを作らず、不必要なものを作ってしまったかもしれない。
私の認識として、日本人はこの時の反省を心に負っている。自然界の大脅威に対して、人は負け戦だったもかもしれないと思う。⇒ 月間リフォームに記載
2016年4月、熊本で大地震があった。そこは従来は地震は来ないといわれていたところ。教訓は、日本中どこでも大地震に遭うということである。もう一つあった。それは新耐震の建物でも多く被災しているということである。耐震の指数は確率論なので当然であるが、これは施策の面で修正が来るのではないかと当時の私は思った。しかしそんなことはなく、実際には日本人は十分に賢いということである。
ただ、耐震技術の壮大な検証が行われたと考えられる。代償として耐震技術に貴重な臨床データが蓄積され、旧耐震の建物の脆弱さが白日のものに晒され、新耐震の建物に対しても見直しが急務となった。これについては今後のJASOの研究会に期待している。




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