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第2次能登半島地震調査

  • 執筆者の写真: misima
    misima
  • 数秒前
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更新日:3 日前


JASO第2次能登半島地震被害状況調査報告 (抜粋)               


JASO第2次能登半島の地震被害状況調査に参加する機会を得た。特に印象深かった以下の事象について報告する。



1)内灘の側方流動について


 内灘町で初めて「側方流動」を初めて目の当たりにした。いわゆる液状化で語られる現象とは少し印象の異なる現象である。調査で立ち寄った西荒屋小学校前の県道で、近隣住民の話を直に聞くことができた。そこでこの現象の背景にある問題に気が付いたことを報告する。

 近隣住民は、実は訴訟も考えているとのことであった。道路脇の工場オーナーであるという。この方によると、この現象に対する研究機関の発表から推測できることとして、これは人災ではないかという。話を聞いて私は彼に1票を投じたいと思った。

 

 彼の話は以下の通り。「道路に沿って民家が特にひときわ大きく傾いている。これは道路の敷設に問題であったことを表している。また、特に小学校の工事において、整地において地盤を掘り返し、サンドポンプを用いて土砂を攪拌し大きく移動させた状況があり、今回この部分の地盤が他より大きく動いたのも事実である。この学校の周辺と、これらに隣接する道路の両側の家屋が特に大きく傾いている。これらは調査を行った大学の報告書からも十分に判断されることであり、公の工事が被害拡大の原因であると推測される理由である。」

 つまり、側方流動が起こったのは自然災害であるが、特に被害が集中したのは、学校周辺の道路工事にの部分に問題があったためという主張である。木工事と推測できる。もし事前にこの液状化に対抗できる研究がなされていたなら、このようにはならなかったと思われ同情を禁じ得ない。


 (図)

 上図は、東北大学の公開情報による。県道は地盤改良されているということと思われるが、西荒屋地区の状況には符合していない。

 しかし、公開されている資料では、特に県道に起因することは述べられていない。被災時の写真では道路脇の民家がひときわ大きく傾いている様子が見て取れるが、その理由の説明はない。今回の我々の調査でも道路沿いの家屋が特に大きく傾いているのが確認できる。

 


 上写真は、西荒屋小学校付近の近隣家屋である。県道脇の家屋が他の家屋に比べより大きく傾いている。県道から離れている家屋はそうではない。県道の修復は進んでいるが、公的な各調査機関の説明する「仮説イメージ」では表せていない部分があるように思える。


という
という

 右の写真は、この地域の側方流動が起こっているのは、実は後で敷設した道路に限ってのことである問題の一端がある証拠写真。これは県道に直交する枝道が、道路部分が右向きに大きく流動していることを表している。後ろの宅地には問題は発症していない。流動の大きさの差は50センチくらいである。


 先の工場主が訴訟に持ち込めるかどうか分からないが、側方流動した敷地の境界線を見直すのにも6年かかるという推測もある。今日までこの「速報流動」の問題に気が付かなかったか、或いは軽く考えていた行政や研究者は大いに反省すべきことではないだろうか。


 道路工事や、地盤改良、小学校廻りのサンドポンプによる広範囲な土砂の入れ替えがどのような論拠に基づいたものなのか私には分からない。実際、地面の中のことは簡単には分からないので、他所で砂丘地盤の問題を抱える研究機関も盛んにこの地に研究に入っているようだ。裁判はどうかわからないが、今後の内灘町の行政対応を見守っていきたいと思う。





2)輪島朝市の状況


 1年ぶりに輪島朝市の火災跡地を歩いた。写真-3は、大きく焼けた朝市周辺の建屋の残っているところ。現在は公費解体が終わった状況にあり、今後徐々に焼け残った建物の復旧にかかるものと思われるが、東日本大震災の反省の上であろうか、被災地の状況は実によく整理されており統制されていると感じられる。復興が遅いと言われるが特段慌てている様子はない。だが、逆にいえば、それは活力のある民間の復旧にかけるエネルギーが見えていない状況とも考えられる。復興祭りが行われたり、他の場所での仮り営業中だとか、そのようなことはあるが、私の経験した東日本大震災の時の熱狂に比べ、むしろ平穏であり、少し気になるところである。

 

(写真-3)

 途中で、地酒を売る仮商店が1件焼け残った家屋で細々と営業しているのを見つけた。ほとんど売れていないようだが、内部がとてもきれいに整理された店だったことが私の印象である。復興をあきらめてはいない、という表れであり救いであるように感じた。


(写真-4)

 歩き回っていて、ふと目についた写真である。屋根に銅線で緊結した新能登瓦は、民家が崩壊してもまだ屋根にくっついたままである。瓦屋根を持つ家屋の耐震性の難しさを表していると思う。土を載せないので軽量化は図られているはずだが、これでは重い瓦の負担が痛々しいばかりだ。根本的な瓦屋根家屋の構造指針を再検討する必要があると思う。木造家屋の耐震診 断基準も、現実に即さないような部分が多数あり、改定の必要があると思う。



3)總持寺の状況。


 總持寺は再建に向かって歩み始めていた。拝観料を取りはじめ、未来に希望を見出している。宗教施設であるから公費による支援が得られない中で、總持寺は恵まれた寺院であると思う。

 1年前の状況と比べながら現況を報告する。最初は、異種構造を誤って連続させた崩壊場所の現況の報告である。そもそも制震金物を不用意に使うというお粗末さもあるが、それはさておき、問題箇所を再び訪れた。


  写真-5(上)

  写真は、巨大な伝統工法による建物と、華奢な近代的工法による廻廊の接即部分の問題の箇所である。廻廊がドン付けされたために双方に損傷が生じ、現状はその部分を応急修理中である。根本問題を改善する姿勢は確認できない。


  写真-6(右・内部)では、巨大建築側も、接続された廻廊に押されて歪んだ隅柱の修繕を行うつもりらしい。この部分の被害が実際にどう修繕されるのかはわからない。


  写真-6(上・内部)。隅柱が補修中である。


  写真-7は1年前の写真。下の写真-8は同じ寺場所の現在の様子。


  写真-8。異種構造の接合部に問題が発生している。根本の間違いを正さないまま修復中である。

  写真-9(上)ドン付けの過ちは、双方が押し合う形ばかりではない。横方向にもずれて壊れている。

  写真-10(上) 解体撤去のあと。布基礎にアンカーボルトがあるので、この上にかつて建っていた廻廊は、近代において造られたことを表している。現在は完全に撤去されていた。


  ※  寺院は宗教建築であるがゆえに行政の助成の対象にならず、結果として今日の耐震化を進める法改正からとり残されているのではないか。日本中の多くの寺院がこの問題を抱えていると思う。私は現在川崎市で浄土宗の寺院の耐震化工事を行っているが、地震耐力に対抗する技術的な問題の外に、正にこの周知されていないという問題がある。今回の視察で明らかになった、有名な総持寺でさえ、本当の耐震技術は現場に届いていなかった。この発見は大きい。


 次は、経蔵である。寺院の伝統建築は地震に強いことがあらためて証明された総持寺であるが、強いとはいえ、被災後には早急に手当てが必要であることについて。


  写真-11(上)

  経蔵は、昨年に調査した時はほぼ無傷であると思った。しかし1年後に訪れて分かったことがある。実は、一見無事に見えても、時間が経過して、白壁には剥離が起こり、あちこちに壁の脱落もみられる。


  写真-12、13(左右)

地震に遭った寺院は大きく揺れて、最後にまっすぐに建っているように見えるだけである。壁内部にはダメージが残り、耐力を失っている状況である。時間経過の中でひずみが徐々に広がっている。早急に壁の補修が必要と思われる。

 

  写真-14


  写真-15

  大地震に耐えて悠然と建っている山門だが、経蔵の壁の剥離を見ると、時間経過の中でのこの山門にも早急に歪の補修や、貫や、羽目板等の補修が必要ではないだろうか。



4)再建を願う珠洲町の神社。


  1年前に一度訪れた珠洲町の被災神社を再び訪れた。その神社の名は「須受八幡宮」である。

  境内にプレハブの事務所が建っており、その中にたまたまおられた神主の奥さんから、この神社の現況を聴くことができた。神社再建の話は何もスタートしていない。資金のことも何も決まっていない。仲間と共になんとかここまで来た。今ようやく考えられるようになったと言う。今年の9月に祭りを行うことは決めた。なんというたくましいことだろう。彼女の話を聞くまで私は実際に今どのような状態なのかまでは想像できなかった。実際の話が聞けて良かったと思う。


 写真-16

 この神社は基壇をRC造としており、3方の高欄(縁側)は直接RCの片持ち梁で支持されている。伝統工法による建物だが、基壇の造り方は近年によく工夫された工法である。したがってもう私は上物が無事なのは驚きもしない。ただ、本殿との接続部の柱が少々傾いた以外は、中央の畳が少しせりあがったくらいである。(この現象はおそらく中央部の束立てが若干突き上げられたのが原因と思う。)他の柱の傾きはほとんど見られないが、問題となるのは本殿との繋ぎ部分の柱の倒れと、壊れた建具、その他の荘厳であろう。見積もりも既に取っており4000万とのことであった。私には妥当と思えた。

  これらの問題は技術的なところにあると我々は考えてしまうが、彼女の話からは、実は宗教施設としてはそうではないところに問題があることを示している。


  ただ、ここでも、伝統建築には時間経緯によるひずみの拡大がみられる。震災直後は柱の一部の傾きがみられただけであるのに、現在は建物全体がすこし歪んで来ているという。早急な修繕が必要である。





5)戸倉温泉の再建


  我々の一行は、今回は戸倉温泉の「のと楽」に宿をとった。のと楽は、これまでに耐震改修をしており、そのために今回は回復ができたという。しかしこれは例外であり、戸倉温泉全体を見ると被害は甚大であった。多くのホテルが営業を停止しており、または解体されるものと思われる。有名な加賀屋も、私が尋ねたところでは全棟を一旦解体し、規模を縮小して建て直しを図るという。不思議なのは、海の際のホテルに被害が大きく、杭を打っているはずの巨大建築が、海側に傾いているものが見て取れたことだ。


  戸倉温泉の被害は、「側方流動」が起こったからではないかと言う。これまで栄華に浸っていたけれども実は「砂上の楼閣」だったということだろう。早くその流動の仕組みを知りたいと思う。

 

  ここで、「のと楽」の内部が素晴らしかったので最後にその感想を述べたい。


  日本旅館は、たいていが増築を重ね、離れから離れに廊下が連なり、曲がりくねり、その風情が実に趣に満ちている。のと楽は、ビル単体であるのに、実によくこれを体現している。

これは西洋的な合理性とは異なる日本旅館の魅力である。その曲がりくねる廊下が実に大げさ。無目的で無駄な造りで面白い。素材を変え、リズムを変え、デザインは美しい。

  また、加賀の国からのものと思われる和風伝統の奥ゆかしさは、例えば繊細な連子を1枚でなく重ねて2重として使用しているなど。それもある時はしつらえであり、ある時は単に臨時に追加しただけであり、遊び要素がある。成熟された趣である。


  能登は、震災後にどのように立ち直るのかはまだ分からないが、漆器、焼き物もある。日本海に息づいたもの。また加賀国の美の伝統。これらはまず無くなることはないだろうと思う。能登は、東日本大震災と異なり、自らの立場を見誤らず、「能登時間」において復興を目指しているように感じる。

能登つつじがきれいだったので、最後の写真にしたい。


  写真-17 能登つつじ

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