超高層マンションについて(武蔵小杉のマンションの停電の追記あり)
今まで尋ねられるたびに「タワマンは買うべきではない」と答えて来た。その根拠は何であったのか。先日JIAクラブでの岸崎氏のシンポジュームを拝聴したので、改めてこの問題について触れてみたい。氏は超高層マンションの長期修繕をして、その経験から建築家視線で今回改めて可否を明らかにされたものと思う。(右はJIAクラブ)
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タワマンは2000年あたりから急に増え始め、首都圏にすでに600棟ほどあるとされる。一時は飛ぶように売れ、2017年ごろピークに達し、いまだに年間相当数が建てられている。しかし、ここにきて修繕の問題がクローズアップされてきている。タワマンの修繕費用は実際のところほとんどのマンションで積立金額を超え、天文学的に高額となってしまっている。中低層のマンションとは訳が違う。
行政の指針ではマンションは12年周期で大規模修繕を行う必要があるとされ、一般もこれに追随している。タワマンもこれにあたる。それなのに、実は大半のタワマンは、販売の時にこの修繕費をきちんと計上しているわけではない。ほとんどの場合1回目は何とかなる。しかし2回目の24年後の大規模修繕は大半のマンションが資金に不安が出て来て、3回目の36年後はほとんどが資金不足となる。なぜこうなるかといえば、マンションを投機対象としか見ていない外国人にも販売するのであるから、修繕積立て金はあまり問題とされず、30年を超える先までの見通しは甘く見積もるのが常態化しているからである。しかし、建物はどんどん劣化が進むのであり、改修部分は予想を超えてどんどん拡大し、2回目の24年後には莫大な修繕費用が積立金では払えないタワマンが出てくることは容易に想像できる。
今日も建てられ続けられるタワマンは、コンクリートは100年200年もち、巨大地震にも耐えるとされるが、しかし設備はどうだろうか。仕上げの部材のシール部分はどうだろうか。あらゆる物質は風雨や紫外線からダメージを受け続け、必ず劣化が進み、タワマンの最も弱い部分はシールであるが、シールは劣化がさらに早い。そして何より超高層はあまりに高いので、超高層部分の修繕費は巨額となる。これは中低層とは次元の異なる問題である。最新技術が投入されているといわれるが、実際にどのような性能を維持できるのか明らかではない。新素材は歴史が浅く実証されているとはいえない。この欠点を言わず、タワマンを売る方はまさしく甘言を駆使して攪乱戦法のような戦略で売るのであろう。
すべての素材は必ず経年劣化しいずれ必ずどこかにダメージが現れる。最も懸念されるの防水シール材において、わが国で施工される最も信頼性のあるシール材でも18年が限度と言われる。打ち込みタイル面も、表面は非常に強いが、実際には必ずどこかにひずみが生まれ、剥離や脱落につながっている実態がある。サッシも、金属も腐食する。これらは今回の氏の写真によって明らかにされた。ここに地震が加わればたちまちダウンであろう。
この上に設備の劣化が加わる。最初の12年目は外装のお化粧で修繕費用を使い果たし、次の24年目はこの段階では設備の大規模な修繕が必要となってくるのに、もう設備に回す資金は残っていないという話も聞く。設備配管は上から下までつながっているのだから、タワーマンションでは低層のマンションに比べはるかにメンテナンスコストがかかる。もし24年目を乗り切っても、その次はどうか。ついに資金的にダウンするのが見て取れる、大変怖い状況である。タワマンは数百戸が一つの命綱によってつながっているのであるから、何かの事故でダメージが発症すればそれは全体に及ぶ。これこそ最大のリスクかもしれない。
設備機器は必ず取替えが必要となり、その上必ず陳腐化する。今は最先端としても24年後36年後はそうではない。維持にも更新にも極めて高額な費用がかかる。マンションはこれらに莫大なコストがかかり、この点でも巨大なマンションは中低層の建物とは違うものと考えなければならない。
タワマンのこの維持保全の問題は技術的に確立されているとは言い難い。奇抜な形状をした建物であれば直さら費用が高額に成ることが予想されるが、販売業者はいろいろと理由をつけてこれを明らかに示すことを回避している。なんとも貧しい心持ちだろうか。
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この他にも特筆すべき大きな問題がある。ここに2つ追記する。
1)、マンションは上記の通りメンテナンスの部分でも運命共同体である。しかしこれを一つの巨大なコミュニティとしてみなければなりたたないたいへん重たい実態がある。
高層部と低層部の住人意識が二分化している問題。
マンションは運命共同体であるのに、コミュニティの欠如の問題が言われる。外人の投機によるリスクも高く、隣人がだれかわからないのは言われて久しい。数百戸が縦に連なって住まうことを有史以来初めて経験している人間世界には、まだこれらが何なのか、未熟であると言うしかない。つまり、実態は、中にはすでにスラム化の進む超高層住宅の実態も聞くところである。
超高額な修繕費用を払い続けて維持し続けることができるなら問題は発生しないかもしれないが、ひとたび何かあると社会のひづみがここに顕著に現れてくるのではないかと思われる。わが国の販売業者はこのような状況にどのように対処しようとしているのかどうかわからない。氏はわが国のタワマンも一歩間違えばスラム化するのではないかと警告する。
2)、タワマンは地震に強いとされるが、
いくら地震に強くても、地域のインフラが失われたら、超高層は巨大な陸の孤島となる。EVが止まり、水が止まり、それだけではない。水が止まればトイレが使用不可となり、毎日数回トイレのために200mの階段を上り下りするのは無理だろう。タワマンは数百戸が1本の命綱によって結ばれているようなもの。よく整備されたシステムであるがゆえにそれが一つでも止まるとそれだけで価値を失う恐れがある。
2回目の大規模修繕で設備機器をすべて刷新できるものではない。30年目にして設備機器の一部は老朽化が顕在化すると思われる。45年後、60年後は、もはや考えることさえできない。
今日、タワマンは、ますます華美な装飾に彩られた商業的成立のみを追うように見える。この現象は我々自身の消費の明代のような気がする。住まいに対する真摯な姿勢を示すこともなく繰り返され、ついに超高層マンションにて最高潮と成っていると私には思える。
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2019年9月東京近郊を巨大台風が襲った。そしてついに多摩川沿いの武蔵小杉においてタワマンのもつ致命的な問題が明らかとなったので、ここに追記する。
あえて一般化して述べることにする。あのタワマンが被災してから数か月たっても復旧しない姿は決してあのタワマンだけの問題ではないからだ。
水に対する怖れ
まず都市の治水について行政は以前とは姿勢を変えている。古は都市の為政者は水害から都市を守るための努力を惜しまなかったし、わが国では1級河川を指定し、ダムを設け、堤を築き、河床を浚渫してきたが、しかし今気候変動が言われ大洪水が懸念される中、ダム建設の責任は国から地方行政に移管された。堤防は一切の洪水に対処するのをやめ、むしろゆるやかな洪水を誘発して崩壊を逃れるということに変更されている。治水の責任は最早為政者の責任から放棄されたも同然であり、「命を守る行動をとってください」と公共放送でもたびたび流されている。
そこで問題は立地である。あのタワマンの立地はポンプアップしなければ冠水するという沼地に建てられていた。現在の治水行政では、都市の冠水は最早やむなしとされているのであるから為政者の責任ではない。そこに住まいを設けたものの自業自得となされる。
しかし、あのタワマンの事故は地階に電源室を置いたために起きたものである。地上階は金になるスペースであるので金を生まない電源室は裏方である地階に追いやられてしまったわけだが、この商業主義の構造は、あの原子力発電所の電源が津波で失われて大災害を招くことになった構造と同じである。最も大切な安全の根本である電源が失われた時のリスクをなぜ考えなかったのか。建物つくりの常識ではないか。私は長年建築教育に携わりながらも、電源室の設置については必ずその危険性を訴えて来た。おそらく商業主義の蔓延する環境で、一人設計者の意思で逆らって電源を守る設計はできなかったのだろうと思う。
あの巨大なタワマンは電源が失われた。電源が失われればポンプが止まり、ポンプた止まれば水が止まり、ついにトイレが死んでしまった。配管から糞尿が逆流し、超高層マンションは電源が死んだだけで地獄絵図となったのである。
安全神話
日本人の安全神話は長年の先人たちの遺産であるが、超高層マンションはこれのただ乗りの性格がある。住まいを求める時の人生の根源的な部分に触れるかもしれない大事なところを、売れればよいと考える者により、住まいとしての価値より、より投機的な価値観を聞かされてついに絡めとられてしまったものと私には思える。
あえてマイナス的な部分を見てみる。世に供給されるマンションは人が住むにはまだ新しすぎる。それが数百戸となれば数百戸が縦に一つの命綱につかまって生きることはどういうことなのか、我々は考えたことも経験したこともない。具体的には、にわかに生まれた数百戸の自治会組織はほとんどまとめられない。15年、30年と経てば世代も変わり、外国人も入り、問題が発生した時の合意形成は至難のこととなる。遠い未来ではなくすぐそこに問題は発生する。
2回目の30年目の大規模修繕があまりに高額となるために、まあ何とかなくだろう、とうやむやにやり過ごすタワマンが今後次々と出てくると予想される。戸建てや中低層マンションなら、それでも問題発生時に頑張ってなんとか処理できるかもしれない。しかしタワマンはそうはいかない。問題発生してから簡単に処理するには巨大すぎる。あっという間に風評被害もあるかもしれない。スラム化は突然起こるものではない。あの武蔵小杉のタワマンは今瀬戸際にあると思われる。呆然としているうちに資産価値がじわじわと下降するかもしれない。
武蔵小杉のあのタワマンのトイレ逆流による地獄絵図を見て、今思うところを述べた。
平成元年10月
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