12月2日、民俗学の先生、馬場さん(道楽会会員)をコーディネーターとして鎌倉古道を歩いた。
鎌倉から高崎へと続く鎌倉古道の上ツ道と言われるところの一部。馬場さんは鎌倉古道を総て走破されたそうだ。 町田駅から出発し、途中給水塔までバスに乗り、そこから約10キロの道程をゆっくりと歩く。 馬場さんの勧める古道の歩き方は、まず目を瞑り、電柱や民家を消し去り、イメージをはるか鎌倉時代に飛ばして、それから歩く。さすがの民族学者である。
道中の所々に残る”残存遺構”を辿りながら、コーディネーター馬場さんの話に耳を傾け、鎌倉武士の駆け抜ける絵姿を思い浮かべる。「鎌倉古道」とは、鎌倉時代のもののみを指し、それ以降の鎌倉に続く道が皆まとめて「鎌倉街道」と呼ばれているものとは少し異なる位置づけとなる。しばしば混同されているので注意を要す。
興味深い発掘秘話を伺った。平成2年ごろからの鎌倉古道の発掘により、これにより明らかとなった古道の構造を、みやた・たろう先生が(御存命と伺いました)平成10年に発表された挿絵を見せていただいた。古道はU字型の断面を持ち、小穴(ピット)が底面、側面、その上部のテラス面、さらにその上部の土手上の道にまで規則正しく並んでいたそうだ。同様の構造は全国の古道にも見られるそうだが、そのピットの使い方の想像図である。先生はそれを、戦時に於ける兵站のためと考えられた。その結論に至ったプロセスに、ロマンを感じないではいられない。
今回の道程は、せたがや道楽会の企画する鎌倉古道の2回目の企画にあたる。参加者は10名。私はビニール袋を手に野草(シダ類)を探しながら歩いた。
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