Architects Office
住宅設計読本
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JFdesign
一級建築士事務所 住環境変換装置


1)日本家屋の新しい形 (ハイブリッド構造)
日本の伝統的住まいの構成要素を再構築する。主要な柱をベンガラを混入した紅いRCの丸柱に置き換える。この家屋は日本建築の新しい試みである。耐震性に優れ、開放的な広い間口をもつ、美しい和風空間を実現している。
主要な柱を堅牢な朱色のコンクリート柱に置き換えているため、耐震性に優れ、大きな開口部が可能となり、日本家屋の開放的な空間が得られた。純然たる日本建築の空間構成を守り、障子を全開するとき庭と一体空間が生まれる。この時の日本的な風情は他に替えられるものはない。この家屋は朱の柱から「橙亭」と名付けられた。にぶい朱の色は伝統的なベンガラの自然発色である。
構造は、耐震力を担うRC柱の上部に木造の小屋組みが乗せられている。この構造をハイブリッド構造(混構造)と言い、他では類を見ないものである。現代の数奇屋建築と解釈している。
ハイブリッド構造は次のカテゴリーに分類される。

カテゴ リー1
RC構造の建物の上に木構造の屋根をかけたもの
カテゴリー2
RC構造の建物の上に木構造の屋根をかけたもの
カテゴリー3
RC構造の建物の上に木構造の屋根をかけたもの
カテゴリー4
RC構造の建物の上に木構造の屋根をかけたもの
カテゴリー5
RC構造の建物の上に木構造の屋根をかけたもの
WHAT
橙亭
WHERE
くらしき
WHEN
1998年


2)過密な都市空間に住まう (ハイブリッド構造-その2)
東中野駅裏の込み入った路地の奥に位置する。外部はコンクリートの壁で固め、内側は柔らかな木造空間を設ける、上表のカテゴリー4にあたる。
<密集地の中に異空間を生む>
RC構造の頑強な外郭が内部空間を守る。過密都市の密集地にあって、外部から隔絶される空間は、言わばまるでぽっかりと生まれた異空間である。
<時間が演出される>
堅牢なRC壁によって外部と遮断された内部空間は、空間と共に時間もまた外部から隔絶される。外部の自然光が壁に反射されて室内に至ると、時間はおそらく引き伸ばされたように感じられる。その中に招き入れられたとき、人の感覚はリセットされ時間を見失うだろう。導かれて歩く経路は迂回され、ラウンドし、すると時間もま迂回しラウンドする。
ちなみにこの住宅の主人は、中庭を海に見立てて客人を招く。客人の歩く経路が「お茶事」の約束事と重なる。恣意的なレトリックが客をもてなす。
<幾何学>
複雑なハイブリット構造の発する意味は、異種の素材を合理的に結びつける美しい幾何学としての数学を感じさせる。数学とはこの場合は主に背後にある美しい構造力学である。
<内部空間の生活の質>
生活の質は、内部空間の木のテクスチャーによって形作られる。感触は木質の確かさによって暖かみが感じられる。そのやわらかさを、堅牢なRC構造がまるで砦のようにこれを保護している。現代人が求める住まいの形質のひとつの理想であると思う。

WHAT K-Tei
WHERE TokyoNakano
WHEN 2013Nen

WHAT
ユニコハウス
WHERE
目黒区
WHEN
2006年
3)都市の狭小地に住まう いわゆる搭状建物
商店街の細い路地裏の狭小敷地に5階建ての塔状の住宅である。1階は玄関があるのみ。2階が居間と小さなDK。2階から5階まで小さな部屋が巧みに積み重なっている。にもかかわらず感覚としては路地はすぐ手の届くところにあり、路地・地域と共に生きる生活感がある。
狭い敷地に工夫して設けられた搭乗建物。結果として得られた縦への空間の重なりは言わばからくり屋敷のようであり、子供にとってはたいそう面白い。子供でなくとも十分に面白いので、ここを訪れた客は、なぜこれを建てたのか?と主人に尋ねる。すると主人はここの歴史を語り始める。
ここには先代からの歴史が関わる。ここのコミュニティの中に生活し、この裏路地にこそ価値があると答える。地域の中で地域と共に子を育てる。地域に愛されㇽがゆえ、この路地に住む価値がある。家は単なる入れ物ではない。路地に愛着を示し、家は縦に伸びる。巧みな空間構成で上えの連続性が演出され、不便をものともしない住む決意があるからこそ、この工夫が生きて来る。
路地から縦方向へ向かうからくり屋敷のような不思議な空間が積み重なり、この塔状住宅は、子供にとってはジャングルジムだ。路地から戸を開けて声をかければ、2階の居間はもとより3階から返事が返る。地域に愛されてどっぷりと地域の中で子を育てるという、住まい手の志が形になっていると思う。

WHAT
大原の家
WHERE
夷隅町
WHEN
1996年
4)郊外に住まいを設ける なぜ郊外なのかを問う
都会育ちの映画人が、田舎に住まうぞ!と決めた時に始まった田舎住まいの計画。仕事場を離れて遠く外房の海岸に住まいを構えるというロマン。
1つ目の問いは、この時の真の目的は何かということ。自然環境が心地よく、当然として気持ちのよい家はできる。そこで問いが生まれる。真の目的はその先にあるのではないか。家が完成してもまだ道の半ばといわざるを得ないのではないか。田舎に住まう時の真の課題は家ではなく、そこに生まれる新たな生活にこそある。
住まいは表層として気持ちのよい田舎暮らしをイメージしている。土着的でノスタルジーに訴える。そこから始まる物語こそが目的である。自然に囲まれ、大地を駆け回り、思う存分生きることができると思う。多分こういうことだと思う。
2つ目の問いがある。「田舎住まい」は初めは良いが、次第に全く普通の生活に過ぎないことになるはずだ。ゆったりした時間は、何のために手に入れたのか。そこには答えないのではないか。あるとすれば、ある場合とは、やはりそれは「都会育ち」の枠内であるのではないか。
必ずこう思うはずだ。大自然の開放感に身がすくむはずだ。その後にようやく回帰する。ようやくスタートラインに立つ。都会に帰った時にその価値が定まると思う。


WHAT
Hの家
WHERE
くらしき
WHEN
2008~25年
5)住宅の新技術 住まいは進化している。
建築技術は日々進歩し、電気器具や設備などはもちろん進歩し、構造、省エネ、断熱、耐震など、建築の根幹技術も、その革新には目を見張るものがある。住宅建築の常識を大きく変えて来ているように感じる。
例えば省エネについて、今では熱源なしで通年生活できるレベルの家を作ることもできる。その技術はすでに実用化されている。ただし最新の技術をその性能の高さに惹かれて直ぐに導入することは普通はしない。高性能化の裏には危うさがあり、最新技術の周辺には商業主義があり、流行となると直ぐに陳腐さが忍び寄る。どのような場面でも、どのように住まうかの基本的な思考がなければ、性能が優れていてるだけでは物足らないものである。 建築を語る上では、新技術の投入はもまず実証されてから使用するものである。新しい技術に安易に飛びつくようなところに建築は依ってはいないと思う。たとえそれが魅力的でも、住まいの100年を考える時にどれほどの意味があるかを考える。
しかし私は、新しいアイデア自体を楽しみたいと考える。私は、新アイデアや新技術を率先して使用し、チャレンジする側には立っていたいと思う。

WHAT
Sハウス
シックハウス対策
WHERE
町田市
WHEN
1998
6)シックハウスについて
ある住宅をアトピーの子のために自然素材で作ることになった。まず素材をすべて見直すことから始める。日常生活はあらゆる危険物質に満ちていると言っていい。その中で身体に危害を及ぼす物質を避けていく。直接体に触れる仕上げ素材だけでなく、下地素材も、つなぎ素材も、のりも、塗料も、あらゆるところに気を配る。いわゆるシックハウス対策を行った。
すると変化が起こる。シックハウス対策で家つくりを考えると、そのうち、資材だけでなく、選択は自ずと他の方面にも及ぶことになる。目指すところが次第にひろがり、あらゆるものごとの表層から離れて、恣意的なデザインは影を失い、そうして行くうちに、私の生活感や考え方も、この家つくりを始める前よりずっと自然体になった。それはこの家の素朴な外観にも現れていると思う。フォルムは自ずと「家型」になった。
そうして、この家に引っ越して来た子供のアトピーはきっぱりと治った。このことは特筆に値すると思う。
何も飾らずに日々暮らしたいと思う。ものごとすべてに自然体で対面する。こういう考えに導かれて、ここには自然素材についての一考を記したい。

WHAT
東中野の家
WHERE
中野区
WHEN
2001
7)積極的に緑化しよう
RC住宅の庭先に、2階建ての木造サンルームを作った。1階のリビングルームの延長空間が、なんだか植物園風になり、2階の子供室とつながった。
狙うところはジャングルの雰囲気である。密林のジャングルなら、上も下も左も右もすべて深い緑の中にある。私は子供のころより将来はジャングルに住まいたいと思ってきたが、この夢はこのお宅のご主人の夢である。また同時に実はすべての子供の夢でもある。
濃密な緑のサンルームをどこにでもつくることができる。施設のエントランスに設けたり、老人ホームの食堂に設けたり、あるいは書斎にしたり。こうした深い緑の空間つくりをこれから私はやっていきたいと思う。⇒ミニバリ
ところで、植物の管理が苦手という人がいるが、これら緑の管理について下記の表を示す。緑の管理は、ほとんどなにもしない管理方法からとことん集約して管理するまで幅広く、実はどのようなレベルでも可能と考えられる。苦手なら粗放的管理に振ればよいだけのことである。
粗放的管理
水遣りさえしない。 枯れさえしなければ何もしない管理手法。
○
←・・・→
← 中間的な管理 →
◎
集約的管理
完全に計画的に管理する。常に最良の状態が保たれている。
○
植物を上手に育てる人を、緑の手を持っていると言う。
緑の管理は粗放管理でも集約管理でもあるいはその中間のどの位置でもよい。私は粗放管理に近いところでお勧めする。植物の持つ野生の力を楽しむことができる。

WHAT
我孫子の家
WHERE
我孫子市
WHEN
1996
8)車いす生活者のための住宅改修
左の写真は、車いす生活を送る老夫婦のためのダイニングキッチンを増築したもの。若夫婦との同居になる2世帯住居。生活空間全般を見直し、なるべく自分の力で暮らせるように作り込んでいる。明るくなった老夫婦専用のDK。車いすで使用するキッチンと、奥に見えるガラスドアから庭に降りることもできる。このほかに、トイレ、浴室、寝室、を改修した。
私は専門学校の福祉住環境コーディネーター学科の最初の教員だったが、それゆえにこの写真は講義やゼミであちこちに使いまわされた。おかげで色々な助言や注意もいただいた。部屋は明るく快適になったが、細かいところは確かにいろいろアイデアもある。現実は複雑であるので、他の方法もあったかと思う。良かれと思ってしたことでも、後でさらに改修を行うこともある。しかし人はさまざまであり、すべてにこれが規範だというものは存在しない。なにしろ人の空間を作ろうとするのだから。
設計者としてどれほどその方の身になって考えられるかは常にチャレンジである。そしてもう一つのポイントは、障碍者を介護する者、高齢者を介護する者へのきめ細かい視線である。これを考えなければならない。
つまり人はみなそれぞれ住まいに求めるものに様々な価値観を内包し、決して合理性や経験だけで足りるずもなく、つまりはリアルな人間探求であると思う。
(本文のJFCのページで、福祉住環境コーディネーターについて記しています。)
*反省自戒の念を込めて・・・・・福祉住環境コーディネーターの創設時にこれを推進した者の一人として、今日の東京商工会の資格制度は異論をはさまずにはいられない。残念ながら空間を作る専門家としての側面はおろそかになってしまった。その名の通り、福祉住空間を豊かにするための人材育成だったのだが、資格制度の面が強すぎるように思う。・・・・
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9)免震構造
2004年、千葉県の塚田のマンションに初めて免振構造を採用した。
大きなゴム製の円盤を幾層も重ねたアイソレーターと呼ばれる免振装置を地上より4m掘り下げた基礎構造の上に置く。柱はこの免振装置の上に建つ。免振装置が地震波をいなしてくれるので、上部構造に地震波は伝わらない。2番目の写真はその免振装置である。
3番目の写真は、その上に設けられた免振の人工地盤にあるモール(街並み)である。地震の影響を受けない安全な住空間が形成されている。免振であることによる居住者が享受できる安心感は小さなものではないと思う。
■コスト:私の試算ではないが、だいたい14階より高い建物だと、免震のコストと耐震のコストがきっ抗するようになると言われる。
■インフラ:設備配管に工夫が必要で、地震の振幅に影響の無いよう設計され、備蓄も考えられている。居住者が巨大地震後にいかに生活を持続させるかは、実は非常大切な仕組みである。
■住んでみた印象:ここに住むようになった居住者に聞いてみると、「地震が怖くなくなり、人生設計に大きく影響を与えたと思う」、と言われた。私としては最も印象深い。
■装置の寿命は60年:製品自体の耐久性は100年以上はあると思われるが、何しろまだ新しい技術のため年数が経っていないので用心のため、取替え工事用の空間やルートをあらかじめ用意してある。
WHAT
GGC免震マンション
WHERE
塚田
WHEN
2004

10 )和風を考える
和風の空間を作り出す側の技術は今日もなお市井の大工(宮大工)の匠により伝承されている。私の感覚だとまだまだ託すべき匠は多い。しかし新たに和風家屋を求める機会が減ってきていることは残念である。
これには様々な要因がある。少なくとも建築のかかえる解決すべき今日的問題に、つまり耐震性、防火性、断熱性、設備、空調、仕ずれも日本建築が応えていないことは確かである。これらは建築の単体としてだがそれだけではない。街並みとしてもさらに火災に弱い弱点が際立つ。つまり都会の木密の問題である。街の発展の上でも、生活面の上でも不良家屋がいつまでも改善されないでいる。
しかし一方で、和食を食する場面や、旅館、ホテル、いたるところに日本家屋の需要は健在である。真の伝統技術の継承には至らずとも好いと思う。亜流のものであれ確実に主張し身の回りに関われば、それは自ずと良い方向にじわじわと転換を促すと思う。
左の写真は100年を超える日本家屋を改修したものだが、軸組みのみ再使用し、耐震化し、その他は内装を家人の求めに応える。木造軸組み工法は、健全で、センス・技術があり、和風にはこれらが必要であり、自ずと表面だけ似せたようなものは亜流となると思う。
私は一つこの章でこの取り上げるべきと考えるのは、我が国の、路地が狭く、消火活動もままならない、木造密集街区の都市問題である。和風であることの問題を素材や技術の拘束から解放し、木見宇t問題の中に解決し再構築してみたいといつも思っている。

11 )子育て
子育ては、家を建てる時の普遍的なテーマの一つである。これに関しては定説など見当たらない。皆がそれぞれ主人公である。
子育て中の家族と共に私も大いに悩む。若い家族にとっては家つくりの最大の課題かもしれない。私は自分の経験しか話すことができない。成功例とは言えないかもしれないが、参考にしてもらえると思う。
我が家は男子3人の子に全く同じ広さ同じ間取りの部屋を与えた。また知人の男女2人の子の場合は、形は違うが同じ広さの室を与えた。また同じく知人の男女3人の家は少し狭かったので、同じ広さ同じ間取りの部屋を与え、日記を書く机とベッドしか入らないが代わりに共同で使う多目的室を用意した。つまり子の間の公平性を確保した。ただ、これらは公平であることにではなく、これらは親の世界観であり、親の生き方、理想像が反映されるということである。子育ては未来への親の願いであり、経験を超えるもの。子育てを通じて親は成長すると言われる。家つくりも確実にその一翼を担うと思う。
最も楽しい時間が子育ての時間であることに違いない。私も子育てに参加するつもりで楽しみたい。写真は、のっぺりしているが、ほとんど外観は全く関係がない。そっけなくして、大切なものは中にあるとの気持ちを表わしている、子育てを考えあぐねたある知人の住宅である。


12 )マンションリフォーム
古いマンションを改修して快適に過ごす。近年はこの種の依頼が多くなり、わが事務所でも手掛けている。しかし、簡単に何でもできそうでいて実はそうでもないことも多い。
多少古くとも一旦スケルトンにし、思いのままにできるのだからこんな楽しいことはない。ただし、相当のことができるとは言え、空間を作りだすことはかなり難しいかもしれない。逆説的に住まい手自身が問われることになり、考えの浅さがさらけ出されて失敗してしまうこともある。優れたものを作ろうとすれば技術も情報も必要である。一生のうち何度もやりな直すことができるものでもないのだから、簡単に考えてしまわないことだと思う。
ただし、マンションには人々が集団で住まうためのルールがある。マンションでは「区分所有法」である。これを運用するときには「管理規則」が細かく決まっていることもある。これは避けては通れない。マンションは他の居住者との共有財産でもあるから、居住者同士の紛争などにならないように。これだけは注意が必要である。
WHAT Y.Fujita
